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『沙耶の唄』感想

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虚淵氏はホラーとして書いたらしいけど、ホラーだとは思わなかった。冒頭から視界中を贓物で敷き詰めたかのようなグロテスクな画面が飛び込んで来るが、耳障りな音声や効果音を含めても慣れていくし、カニバリズム要素にしろ殺害要素にしろ決定的な画はないのであまり恐怖を感じない。ホラーというよりもサスペンスに近い。

音と言えば音楽は ZIZZ が担当しているだけあってクオリティが高く、特に「ガラスのくつ」は結末の余韻に浸らせてくれる名曲だった。一方、絵は落ち着いた絵柄でこの業界には珍しいタイプかもしれないけど、私の好みではあったし作品にはマッチしていた。面白かったのが背景画で、健常者の視点から見るそれは今一つなクオリティなのに郁紀の視点で見る狂気の世界の CG はやたらと気合が入っていて、あまりの落差に思わず笑ってしまった。いやでもグロ CG は本当に素晴らしかったけど。

シナリオのほうは一気にやれば半日でクリア出来るくらいに短いが、無駄を極力省いてある上に内容が濃密で食い足りない感はない。結末も悲壮感漂う切ないものばかりで、カタストロフを好む私にはたまらなかった。ただ、純愛物語だと称賛する声を聞いていたのでその点も意識しながら読んだけど、そこはピンと来なかったな。壊れた世界の中で見た目が美しい少女に会えたからこそ郁紀は沙耶を求めたし、沙耶にとっても化け物である自分に優しくしてくれる存在は郁紀しかいなかった。だから互いの孤独を埋めるために二人は寄り添った。そういった有る意味での利害の一致から来る傷の舐め合いを、虚淵氏は描いたんじゃないか。ただ、それが愛じゃないと否定する気はないし、例え純愛じゃなくても二人のそうした想いが純粋なものだったのは確か。そして夢も浪漫もない愛が描かれていたからこそ、『沙耶の唄』は面白い作品になった。純愛じゃなきゃつまらないってわけでもないし、純愛かどうかはさておいてものすごく好きな作品。

匂坂郁紀 (CV:氷河流)

耕司や瑤への郁紀の態度にはイラッとすることもあったけど、郁紀の境遇を考えると仕方ないとも思える。確かに彼の視点で見る耕司たちは醜い化け物でしかなかったし、構ってくるのを鬱陶しく思う気持ちもわからないではない。だからこそ、郁紀の沙耶への愛に疑問が残る。親友を外見だけで忌避すべき存在として決定づけた郁紀なら、沙耶の本来の姿を見た後では、手のひらを返してしまうのではないかと思うからだ。彼が沙耶の真の姿を見ることはなかったから読者が想像するしかないが、私の抱いた郁紀への印象では、郁紀は沙耶を愛し切れない。愛そうと努力はするかもしれないけど、結局は出来ないんじゃないかな。郁紀の認知障害を沙耶が治し、二人が病室で別れるシーンは綺麗な結末だったけど、あれは郁紀が沙耶の本当の姿を見ていないからこそ美しい別れのままで終われた。とはいえ人間として「肯定出来ない」存在に対する生理的嫌悪ってのは大事な感情の一つで、例え郁紀が沙耶の真の姿を見て彼女を否定してその後に他の女性と結ばれたとしても、郁紀を責めることは出来そうにない。沙耶の視点からみるとそんな郁紀は薄情者に映るかもしれないけれど、彼はただ正常に戻っただけなんだから。

もう一つ郁紀の沙耶への愛に疑問を抱くことになったのは、沙耶が瑤の裸体を差し出した時。沙耶とは違う豊満な肉体に郁紀は欲情し、戸惑い、しかし沙耶がペットとして愛でることを提案すると遠慮なく犯す。ペットを愛でることは浮気ではないという免罪符を与えられ、嬉々として女体を貪る。その姿は浅ましかった。男の愛情と性欲は一致しないこともある、てのは理解は出来なくもないんだけど、それを敢えて虚淵氏が描写したことには「沙耶の凄まじい嫉妬の発露」として表現する以外にも意味があったんじゃないかな。

しかし郁紀は実は地味な主人公なんだよな。そういう地味な人間が、化け物との恋という形で人間をやめていく様が、郁紀や沙耶からの視点と周囲の人間からの視点とで描かれるのがおぞましい。郁紀のあの壮絶な境遇には同情した。

沙耶 (CV:川村みどり)

真の姿が明かされることはなかったけど、これは虚淵氏による慈悲でもあったのかな。クリアした後でも、私なら沙耶の真の姿を見ると生理的嫌悪が勝るだろうから。ただ、病院で正常な感覚を取り戻した郁紀の前に現れることを嫌がる沙耶と、瀕死になりながらも郁紀の死体に寄り添おうとした沙耶の必死な想いだけは、せめて肯定してあげたい気持ちが強い。例え化け物だろうとなんだろうと、そこにいたのは確かに恋する乙女だったんだから。しかし結局、沙耶を愛せたのは奥涯教授だけなんだな。だから沙耶は自分を丸ごと肯定してくれる「父親」を探し求めるのか。

一番好きな結末は精神病院での別れに至る ED だけど、沙耶が開花する ED も印象的。ラブロマンスに憧れた化け物が人間に恋をして孕んで、そのたった一人の男のために産む。そうして沙耶が産み出したものは世界をおぞましく塗り替えていく。しかし開花する沙耶は美しかった。世界は壊滅状態になったが、郁紀の視点で世界は美しいものに変わっていくんだろう。沙耶が出産したことでかつての正常だった世界は滅び、しかしたった一人の男にとってはそれが福音となる図が美味しい。けど美しくなった世界に沙耶はいないんだろうなと思うと、それがまた切なくてぐっと来るのだよね。

戸尾耕司 (CV:片岡大二郎)

恋人を殺され、友人を助けようと駆け回り、親友の苦悩に気付けなかったことを悔やみ、化け物を倒そうと動く。しかし読者は郁紀視点でも物語を追いかけているため、少なくても私には郁紀を「悪」と断じることは出来なかった。郁紀には沙耶との世界を守る理由があるし、耕司にも自分の世界を守る理由がある。そのすれ違いが哀しい。耕司だけが生き残る ED はその価値観の違いが顕著に出ており、郁紀に寄り添いたくて必死に這った沙耶を前に、結局親友を取り返せず打ちひしがれる耕司の姿が印象的。ちなみにこの結末、本人に自覚はないものの耕司は世界を救った英雄でもあるが、その英雄にとっては意味のない結果だけが残ってしまったのが何とも。

高畠青海 (CV:海原エレナ)

友達思いのいい子だったんだろうな。おかげで真っ先に食料にされてしまった可哀想なキャラクタ。青海の肉とは知らず郁紀が美味しそうに食べるシーンは衝撃的だったけど、思えばあれが郁紀にとっての最初の「超えてはならなかった線」だった。

津久葉瑤 (CV:矢沢泉)

沙耶に乙女としてのいじましさがあったように、瑤も郁紀に恋をする乙女でしかなかったのに惨い目に遭っていて痛ましい。郁紀とようやく結ばれたのも化け物になってから、てのがまた。ただ、沙耶に呼び出されて化け物に作り替えられるシーンは描写はあっさりしているんだけど、実は沙耶が嫉妬を露わにした重要な場面でもある。沙耶が嫉妬という感情を抱くまでに成長したことを、奥涯教授であれば祝福したに違いない。

丹保凉子 (CV:佐藤まこと)

死に方がかっちょいー姉さん。初登場の時の印象を華麗に裏切って、井戸に閉じ込められていた耕司を助けに来るシーンの男前ぶりで惚れた。かと思いきやショットガンを撃とうとして不発に終わるところなど、詰めの甘いところもあるのがまた良いじゃないですか。