Antipyretic

何かありましたら rpd1998★gmail.com まで

幸の天秤

http://www.ignote.net/operetta2/sachiten/w_index.html

往々にして短い作品てのはマイナスとされることが多いけど、ダラダラ冗長なだけの作品よりも短いほうが好きな私は基本的に歓迎する。けど『幸の天秤』はフルプライスで読んでみたかった。深淵を覗いてみれば暗く深く濃密で面白い話だと思うんだけど、暗く深く濃密に描かれてはいない。これは描写不足というよりは尺不足なので、フルプライス作品だったら受ける印象は結構違ったんじゃないかなあと。

復讐の核となる感情は言うまでもなく憎悪だが、憎悪は愛情よりも時間をかけて描写しないと感情移入が難しい。でも強烈な感情ではあるので、最低限の描写だけでもある程度は面白くなる。だからこそ最後まで幸の復讐劇を見届けられたんだとも思う。どの結末でも「みんな深刻な隠し事をしたまま終わる」のも面白かった。でも真に迫って来ない。あっさりしている。ありきたりな復讐劇かと思えば捻ってあるが、終わった後に引き摺るものがない。だから登場人物が何度か「自分たちは狂っている」と自嘲するけどそれもピンと来ない。強いて言えば玲人には狂気を感じることはあったが、それも描写が軽い。詩織ももっと活躍すると思ってたもんなあ。「これは三人の物語だから」と言われるのかもしれないけど、個別ルートに入るともう一人の攻略対象が出て来なくなるどころか輝と玲人が直接関わる場面は玲人ルート終盤を除くと一切ないから「三人の物語」と呼ぶには違うような気が。あーでも男二人は互いに関わらないけど幸を通して相手を意識しながら動く、という意味では天秤とも言えるのか。幸が支軸でそれぞれの皿に乗せられる二人の男という……え、まさかこれを表現したかったとか?

システムは文字の最速表示が出来ないのは気になったけど慣れた。画面はワイドが主流になっている中で 800*600 のモニタサイズという時代の逆を行く仕様だけど、このサイズが好きなので嬉しい。しかし吉里吉里をあまり弄ってないらしく、セーブ確認画面とかもうちょっと……いやああいうのは嫌いじゃないけども。あとはダミヘを採用しているが、やっぱ好きじゃないなと実感した。ちなみにそれぞれの結末に到達すると攻略対象視点のエピソードが挿入されるが、二人とも幸に見せない部分が多いので面白かった。特に輝。

絵は癖がなく結構好きな絵柄。幸はフェイスウィンドウだとあまり可愛くはないけど CG だとやたら可愛らしかった。しかしこの作品は全裸でのセックスが多いので肌色率が高いんだよなあ。私は着衣エロのほうが好きなのでそこは残念。

題材や展開や話の着地点は好みではあるし気に入ったところも大量にあるだけに、没入出来なかったのが惜しい。現にプレイの最中よりも、感想を書き出している今のほうが楽しかった。でもこの作者の作品をフルプライスでプレイしてみたくなったし、そういう意味では得られるものはそれなりにあったかなと。何気に初 Operetta でした。

しかし望月家の関係者だと思われる佐藤さんが一番の謎だったなあ……。

綾瀬幸 (CV:手塚りょうこ)

玲人との恋人期間が描かれないので、幸の復讐にはピンと来なかった。酷い捨て方をする玲人に腹が立たなかったのも同じ理由。けどロープライスだから玲人との過去を語らない構成にしたのも理解出来るし、やっぱり尺が足りてないのが惜しい。このスタート地点ですでに幸の復讐劇を一歩引いた視点で眺めることになったのが、作品に没入出来なかった最大の原因。幸が復讐に至るにはもうちょっと深い動機が欲しかった。復讐を決めてからも迷うしそのたびに輝が煽るので輝ブースト効果はあるが、それでももっと幸が絶望に叩き落とされてから復讐を決意して欲しかった。もっとわかりやすく言えば玲人を徹底的に酷い男として描いて欲しかった。でも玲人も攻略対象にする以上はそれも難しいか。

そして玲人だけでなく幸も悪女にはなりきれない。特に玲人と一旦離れたおかげで、自分が玲人に好かれるための努力をしていなかったことに気付いて反省するあたりは彼女の人の良さが出ていた。しかし幸は外見が変わっただけで態度を変える玲人に呆れていたが、外見はかなり重要なので私には玲人の態度の方が理解出来るなあ。

何気に300円のショーツを大金持ちの美形に洗濯されて畳まれているのを発見して、いたたまれない思いをしている幸の姿が印象に残ってるんだけど、あれは可愛かったなあ。

望月輝 (CV:魅皇楽)

復讐のための『マイ・フェア・レディ』。金持ちで家事も完璧で美男子で幸が求めない限り手も出さないしセックスしたらしたで相性抜群だし優しいし、とそんな男と共同生活を送る幸はそこだけを切り取ってみると羨ましいくらいだった。そして輝は何故復讐に協力してくれるのかが読めなくて不気味なんだけど、そんな中でまだ復讐に対して覚悟が決まらない幸の背中を押すために裏で暗躍していことが薄々察せられたり、避妊に強い拘りを持っていることが伺えたりと彼の真意や本音を探るのが結構楽しかった。幸が初めて復讐のために抱いて欲しいと告げた時に避妊具の素材の希望を聞いてくるのも驚いたし、玲人が避妊具をつけるのを嫌がったと幸から聞かされた時の反応も必見。

「え、本当に? 僕以上に救いようのないクズだね。死んだほうがいいんじゃないか」

玲人もまさかこんなことまで暴露されているとは露ほども思うまい。ここは笑った。

輝視点になると、輝も激情を抑えるのに必死だったことがわかるのが面白い。特に幸の視点では淡々としているように見えた雨の中での告白は、輝がいかに幸への想いを持て余して切羽詰まっていたかがわかるのが印象的だった。

輝が人格を擬態していたことまでは読めなかったから驚いたけど、だからこそ嘘も受け入れようとしている幸のためにこれからも擬態し続けることを決意する場面は、幸への想いの深さと臆病な輝の素顔が見えてぐっと来た。エピローグでは幸も輝の本性に薄々気づいていることが描写されており、その上で輝と共にあろうとしているので幸に人格のことも含めて全部言っても受け入れてもらえるとは思うが、幸が自分に依存してくれないと安心出来ないくらいに幸に依存している輝にはそれが出来ない。嘘をついてつきまくって試して試しまくらないといけないくらいに輝は人を信じられない。これは一生治らない。そしてそんな輝だからこそ、自分と同じ傷を負っていて運命的とも言えるほどに共通点が多いのにそれでも人を信じられる幸に惹かれた。しかしそれほどに幸に惹かれていながら、幸を信じきれないあたりは輝の傷の根の深さが感じられていいなあ。

萌えたのは雨の中の告白が一番印象に残っているが、無自覚にやたらとキスをしまくっていたことを指摘されて愕然とする場面とか、裏で妨害していたのに幸が就職先を見つけてきて愕然とする場面とか……って愕然とする場面ばっかか。基本的に輝は笑顔の仮面をつけているので、その仮面が剥がれるシーンが印象に残るらしい。他にも幸を引き留めるために妊娠させることを思いついて(さっそく今夜から中出ししよう)と心中で明るく決意したり、幸の写真を今でも持ち歩いている玲人を「恋する乙女か」とか(気持ち悪ぃ野郎だ)と罵ったり、(始末してぇな……)と思わず本音が出てすぐに我に返って一人で笑顔を貼り付けるシーンとか結構ブラックでありつつも可愛いなあと思える。玲人ルートでは自分から離れる幸の幸せを願いつつも幸ごと玲人の天秤を大きく傾けることになる DVD を与えるあたり、輝のどうしようもなさが出ていてたまらないものがある。

幸を孕ませようとする「閉ざされた扉」ED はありきたりで残念。更に残念だったのは幸の復讐に協力した理由。「絶望を拾って」という死んだ真理子の言葉に従っていた輝は、復讐を願う姉の日記に従っていた玲人とは「死んだ女の意志に囚われている」という意味で共通していてそこは面白いんだけど、金があって満たされた人間の暇つぶしだったと捉えると案外つまらない理由だなあと。まあそれも幸のおかげで変わっていくけども。

篠原玲人 (CV:髭内悪太)

この人はこっ酷く幸を捨てるが、一瞬だけ辛そうにしてたし幸と玲人が恋人だった時の描写が割愛されて感情移入出来なかったこともあって腹は立たなかった。幸が復讐のために近づいてきたらその狙いに気付かぬ振りをして幸を求め、輝の存在に嫉妬する身勝手な玲人を眺めるのは面白かったけども。でも玲人は元々幸を愛していることもあってちょろいし堕ちていく描写も駆け足なので、泣きながら縋りついてくる場面はあまり盛り上がれなかった。マゾよりサドを屈服させるほうが楽しいし、玲人が幸の犬になりたいと思っているタイプのキャラクタだったことも好みから外れていた。だから 3P という楽しそうな終わり方なのに「私の可愛い犬」ED もテンションが上がらず。玲人を性奴隷にして楽しむ幸は面白かったけど、玲人がすっかりグズグズになっていたのが残念。

でもシナリオは輝よりも玲人ルートのほうが面白かった。笑顔を常に貼り付けたままでいられる輝とは違い、玲人は変化が劇的なのでそこが面白かったというか。復讐をまだ諦めてはいないものの幸が再び玲人と暮らすことを選択してからはデレデレになってて薄ら寒かったし、幸が復讐をしようとした相手も実は復讐鬼だった、という構図はありきたりながらも好みだった。それと終盤、復讐に囚われている玲人の目を覚まさせる役がヒロインの幸ではなくグラフィックすら用意されていないモブキャラの佐藤さんだったところは意外で面白かったし、それで目を覚まして姉のための復讐を諦めたかと思えば今度は自分のために邪魔な上司をサクッと殺したのは驚いた。えええー。そして殺したことを少しも後悔していないし、その上で幸と結婚して幸せになることに躊躇いが一切ないあたりは歪んでいる。更に驚いたのは、実は幸が玲人による殺人の隠蔽を輝に頼んでいた点。人を殺したけど出頭する気のない玲人と、恋人が殺人者だと知っていて自首させる気のない幸が結婚して幸せそうにイチャイチャする様を読者に見せつけて来るのはなかなかに凶悪。人を殺した? だからどうした。それでも自分たちは幸せになるんだ、という幸せへの執着が面白い。しれっと DVD を渡していることからも、二人の罪を全部知っている輝の今後の動きが気になるが、人を殺した罪はどこかで跳ね返ってくることを幸と玲人は理解していて覚悟もしているので、もうこちらとしては「好きにしてください」としか。この二人の人としてはアウトな開き直りと不穏な終わり方は結構気に入ってもいる。

BAD ED はいずれもあっさりしているので印象は薄い。「復讐の終わり」ED は展開としては好きだけど幸と輝を殺すに至るまでの玲人の心理描写が描かれないので唐突に感じるし、「人魚姫のナイフ」ED は更に展開が早すぎてどうも。

残念なのは、幸が玲人の復讐心に気付くきっかけの描写が拙かった点。日記で真相がわかる展開は面白くないんだよなあ。「日記」というガジェットを上手く使えたらいいんだけどこれは上手くなかった。そもそも玲人のやっていることは犯罪なのに「書き記す」なんてリスキーなことをわざわざするのか、という違和感が。法的な証拠能力がどれほどあるのかはわからないけど、実際幸にはそれでバレてしまったのだしお粗末だろうと。

しかし玲人が結局、どのルートでも復讐を果たしてないのは興味深い。輝ルートの「輝の天秤」ED では果たせたとも言えるけどそれくらいだったし。